第二話 火ビラ(hibira)

この「火ビラ」は花火当日、配られたもので柳橋の料亭さんなどに貼られていたものです。
明治から以後毎年行われるようになった花火大会は柳橋の料亭組合が中心となった「両国花火組合」によって運営されていました。
こうした「火ビラ」は、当時の組合長などが墨で書き、料亭さんや舟宿などに配ったそうです。
この「火ビラ」はうちの中を探していたとき出てきたものです。
何年頃のものであるか定かではないのですが、1951年の中断までこうしたビラをつくって配っていたそうです。
川開きの花火大会は江戸時代から行われてきたことはご存じと思いますが、様々な事情があり、幾度も中断の時期がありました。
でも花火のイベントとしては人々の心の中に「日本の花火の代表」のような存在であったのでしょう。戦後最初に復活してこうして毎年行われる恒例の行事となりました。
当時の人出は今とは比べものにならないほどでした。もちろん、現在でもたくさんの人が花火見物にいらっしゃいますが、昔の資料などを見ると川沿いのありとあらゆる場所が人でギッシリなのです。
今の花火大会
今はTVでも見られる時代。昔に比べれば人の数も少なくはなっているように思います。
現在、主な会場になっている浅草・吾妻橋付近では、ご覧のようなバリケードが作られて、川に人が寄ったり落ちたりしないようになっています。
当日会場に近い隅田川の橋は、「停止禁止」になります。車の通行を禁止して人がここを通ります。
バリケードはちょっと無粋な感じもしますが、安全のためやむを得ないのでしょう。
この船宿はこの花火大会では、どちらかというと主催側に近い立場になりますので、当日はなんだか心配ごとだらけです。
天気の心配に始まって、安全のこと。やはり無事大会が終わることを願っています。



