『両国の川開き』=隅田川花火大会、大花火の想い出

両国の川開き
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第六話 熱い暑い長い一日(前編)

―両国の川開き復活の日―

隅田川花火大会当日「両国の川開き」として、江戸時代より270 年余りにわたり、そのうち何回か中断しながらも、昭和53年に名を変え復活した「隅田川花火大会」早いもので今年で、33回目となりました。

復活当時の私たちの思い出をお話ししましょう。

当時の、舟の手配数は90隻位で、小松屋の桟橋と、他に神田川内二ヶ所、隅田川上流の向島は墨堤桟橋の四カ所から、お客様を乗船させていました。その向島の墨堤桟橋での花火の一日を綴ってみました。私たちもまだまだ若い20代半ばの話です。

その頃、屋形舟は小松屋の一隻だけでしたので、屋形舟よりも一回りも二回りも小さい木造の釣り舟を、都内の船宿や、千葉の浦安などから、応援を得ていました。

私達は、まず午前10時頃から、客名を書いた木札や、各船につける中高張提灯、飲み物や氷をたっぷり舟に積みこみ、小松屋の桟橋からアルバイト数人を引き連れ、大川上流墨堤の桟橋に向かいます。

今でも覚えているのは、舟のスピードの遅いこと。エンジン音はタッタッタッと大きいのですが、その音は、何なの?と言いたくなるくらい、ゆっくり進み景色が中々変わらない。あまりにものどかな遅さには何だか笑えてしまうくらいでした。当時は船が小型で、エンジンも小さかったのです。

振り返れば、30数年前の隅田川のなんと穏やかなこと。行き交う船は… 長く太い木を組んで何列にもして、筏師がその上を飛び歩く筏を曳く曳き船。今よりずっと小さい水上バス。小型のタンカー。小さい釣り舟でも、引き波にぐらぐら揺られてしまうことはそれほどなく、のんびりした空気がありました。

お客様を迎える準備

やっと、向島に着いてからは、お客様を迎える仕事が始まります。持ち込んだ机と椅子を並べ、受付所を設定して小松屋の高張提灯を高々と掲げます。

15、6隻の舟の到着を待ち、乗船人数に合わせて、座布団を置いてもらい、それぞれの舟に「小松屋」と墨の色も黒々と書いてある中高張提灯と、料亭名の書かれた木札を取り付け、持っていった氷に飲み物を冷やして準備します。

ひとことで言うと簡単なのですが、その準備に時間がかかるのです。集まってきた舟に、クーラーボックス・氷を渡し、飲み物をそれぞれの舟に納めます。

前日遅くまで、乗船人数や飲み物を最終チェックして、決して間違えないようにと私たちは気を張りつめていますが、当の船頭さんたち、何とものんびり。言い換えればおおらかとも言えるのでしょうが、
「あの舟に、この飲み物を積むの?いいよ。後で、持っていくから大丈夫。」
いえいえ、決して大丈夫ではないのです。何種類もの飲み物、メーカーからサイズまで個々に全部違うのですから、自船分と他船分を同じ所にでも置いてしまったら、取りまとめている私たちでさえ、一度手を離れたら分からなくなること、必然です。

そこでアルバイトが大活躍。念にも念を入れて、直接、舫っている舟を渡り歩いて、確実に乗せていきます。親戚の若い男の子たちですから、気兼ねなく働いてもらうので、一安心です。

そして、出船の時に滞りなく舟を出すために、順番に舟を着けてもらうのですが、ここにまた、例ののんびり気質がでてきて、なかなか、大変。拡声器の大活躍となり、離れてしまった舟を呼び戻すのです。

エンジンをかけて、少し前進か後進をかければ早いのですが、どうやら、一度エンジンを止めてしまうとそのまま、かけなおす事をしないのです。他船に手をかけて、船縁沿いに押しながらくるものですから、中々揃わなくて、やきもきしたものでした。

真っ黒に日焼けした昔気質の気のいい船頭さんばかりでしたけどね。

夏の暑い盛り、日をさえぎるものひとつない桟橋ですから、私たちも飲み物が欠かせません。一番皆が喜んだのは、特大ヤカンに入れた氷水でした。
でも、飲んだ水分は、あっという間に汗になるばかり。タオルは絶対、必需品。ぐっしょり、汗で重くなります。

ちなみに、桟橋にトイレはないのですが、昼食時にトイレを借用すれば、すべて終えて柳橋に着くまでは、一度も行きませんでした。今思うと、軽い脱水症状なのかもしれませんが、飲んだ水がそのまま汗になってしまうほどの暑さでした。

すべて準備を整えてから、向島に昼食を取りにいきます。どの料亭さんも、真夏の強い日差しにさらされて、しんと静まりかえっています。花火の打ち上げ時には、華やかに賑わうのでしょう。ほんの数時間後の花火の響く音と、人々の歓声が、聞こえてきそうです。

早々に食事を済ませ、小松屋に変更がないか公衆電話で確認して、桟橋に戻ります。
その当時は、もちろん現在のように携帯電話がありません。人数の変更などは、前日までとなっていますが、当然、当日の変更もありました。昼食時の電話で伝えてもらい、それで何とかなっていたのです。
乗船時間も変更は出来ませんから、お客様も遅刻することなく、順番に滞ることなく出船していました。携帯電話で簡単に、遅れますと掛かってくる現在では、考えられないことですが、約束事がきちんと守られていたのですね。

(写真は柳橋付近、小松屋から撮影した当時の様子です)

平成二十二年七月二十日 夏
柳橋 舟宿小松屋 女将 純

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